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今年開港150周年を迎えた横浜。今回は横浜ボランティアガイド協議会が運営する「ヨコハマまち歩き150」の数あるコースの中から(〜9/27(日)まで開催、参加費500円)、“横浜レトロな建物コース”に同行。ボランティアガイドの方から解説を受けました。
今回は、今でも当時の面影を残す建築物などを、意外なエピソードを交えて紹介していきます!



コースを巡る前に知っておきたいマメ知識【関内の由来】

入り江だった現関内エリアは江戸時代に吉田新田として埋め立てられ、その後横浜新田、太田屋新田と造成されていきました。当時栄えていた神奈川宿には外国人を入れたくなかったため、この地が開港の地として選ばれたのですが、開港後に外国人の犯罪が増加したことにより、関門が設けられることになりました。それ以降関門の内側を『関内』、外側を『関外』と呼ぶようになったんですね。実はこの“関内”、駅名や道路標識などでは使われていますが、住居表示などの地名としては存在していません。

 

スタートはJR関内駅   3代目の建物となる横浜市役所

公園内にある『横浜球場』。戦後の占領下には米国大リーグの打撃王“ルー・ゲーリック”にちなんで『ゲーリック球場』と呼ばれていました。

1866年(慶応2年)に起きた『横浜大火※』によって、街は整備され生まれ変わることとなりました。その一環として、イギリス人R・H・ブラントン設計のもと『彼我(ひが)公園』が誕生。それまで、山手公園が居留外国人のみに開放されていたのに対し、この『彼我公園』は日本人にも開放された日本初の洋式庭園となりました。これが今の横浜公園です。

※1866年(慶応2年)10月21日午前8時頃、港崎町(現在の横浜公園付近)の豚肉屋から出火。外国人居留地や日本人町を焼き尽くし、午後10時頃鎮火した。

横浜公園内に今も残る
『岩亀楼の石灯篭』

公園に整備される前は、港崎町と呼ばれる遊郭だったこのエリア。『横浜大火』によって15,000平米を消失してしまいましたが、石灯篭が、当時この地に遊郭があったことを伝えています。

この日本大通りも『横浜大火』によって生まれ変わった場所のひとつ。火事の教訓を受け、通りの幅は36mと、延焼を防ぐための工夫がなされています。近代建築が多く立ち並ぶ通りとしても有名です。

通りには日本の鉄筋コンクリート造建物第一号とも言える『横浜三井物産ビル』が現存しています。シンプルで一切飾りのないモダンさは現代の建築家もうなるほど。1911年(明治44年)築、震災で倒壊しなかった建物のひとつ。

 

当時の建物に見られるスクラッチタイルを使ったキングと呼ばれる『神奈川県庁』。イスラム風のドームが何ともエキゾチックなクイーンが愛称の『横浜税関』。そして、開港50周年を記念して建設された『横浜市開港記念会館』がジャックです。この3つを総称して『横浜三塔』と呼んでいます。並んで建ってはいませんが、周辺には三塔をいっぺんにみることができるスポットが点在しています。

クイーンの塔の高さは51m。当時の税関長がどこよりも高く!と望んでこの高さになったのだそう。

○神奈川県庁(キング) 
所在地/横浜市中区日本大通1
建築年/1928年(昭和3年)
一般公開/あり(6階展示室・屋上)
電話/045-210-1111

○横浜税関(クィーン) 
所在地/横浜市中区海岸通1
建築年/1934年(昭和9年)
一般公開/あり(1階資料展示室)
電話/045-212-6053

○横浜市開港記念会館
(旧開港記念横浜会館/ジャック) 
所在地/横浜市中区本町1−6
建築年/1917年(大正6年)
一般公開/あり
電話/045-201-0708

三塔を見ることができる目印。
日本大通り沿いにあるプレート。
(神奈川県庁分庁舎前)
デザインを公募した神奈川県庁。
塔のあることが条件だった。

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