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黒船来航から6年後の1859年(安政6年)、日米修好通商条約締結の翌年7月1日(旧暦6月2日)横浜港が開港しました。戸数100ほどの半農半漁の横浜村が新しく生まれ変わることになった幕開けの年です。こうして開国の象徴となった横浜は文化交流の場となり、日本の窓口として発展をとげることになりました。アイスクリームや電話など“横浜発祥”が多いのも、この背景によるものです。そして開港から30年後には横浜市が誕生し、人口は12万人を突破します。1909年(明治42年)の開港50周年には『市章』やハマっ子なら誰でも口ずさめるという『横浜市歌』(森鴎外作詞)が誕生。50周年を記念した建物として、資金を市民に募り、設計も公募したという『横浜市開港記念会館』(当時の名称は開港記念横浜会館)が建設されました。
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その後1923年(大正12年)の関東大震災や1945年(昭和20年)の横浜大空襲で壊滅的な被害を受けた横浜ですが、「それらを乗り越えたからこそ現在の横浜があるのだと思います」(ボランティアガイド:加藤さん)といった言葉どおり、1930年(昭和5年)には震災の瓦礫の埋め立てでできた『山下公園』を完成させ、開港100年目を迎えた1958年(昭和33年)には開港100年祭を開催。記念として『マリンタワー』や『横浜文化体育館』を建設し、完全に復興した横浜をアピールしました。1989年(平成元年)には市制100年記念事業として『横浜博覧会』を開催し、いまや現代の横浜を代表するスポットとなった『みなとみらいエリア』が整備されたのです。
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山下公園と日本郵船氷川丸 |
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そして迎えた2009年(平成21年)は開港150周年の年。記念事業として『開国博Y150』が開催されています。また、開港時の港であった『象の鼻地区』を『象の鼻パーク』として整備、開港100年目に建設された『マリンタワー』が補修を終え、新たな姿でお目見えするなど、今年の横浜は例年に増した熱気を見せています。
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人口は東京23区に次ぐ約367万人と全国第2位の都市へと成長した横浜。今まで以上の発展が今後も大いに期待できます。
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