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日刊新聞 |
1871(明治4)年1月28日に創刊された「横浜毎日新聞」が始まりとされる。貿易・経済関係が主なニュースで、他には迷子、売家、移転、落し物などの記事が掲載されていた。
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ホテル |
1860(安政7)年、現在の山下町にあったホテルが始まりとされる。経営者はオランダ船籍ナッソウ号元船長のC.J.フフナーゲル。日本初のバーもあったといわれている。医者のシーボルト父子、開国の様子を描いた画家のW.ハイネなども滞在した。
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写真 |
1860(安政7)年にアメリカ人O.E.フリーマンが横浜に初の写真館を開業。その後、初の日本人写真師とされる下岡蓮杖が、1862(文久2)年に写真館を開いた。写真は寿命が縮まると、当時の日本人は撮影を嫌ったという。
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クリーニング |
外国人相手の洗濯業の元祖は1859(安政6)年に開業した青木屋忠七だが、クリーニング業は1861(文久元)年、渡辺善兵衛が始めたとされる。日本式の洗濯と異なり立って洗ったり、アイロンをかけたりする方法は、当時の日本人に珍しがられた。
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西洋理髪 |
1869(明治2)年に小倉虎吉が開業。横浜開港後に外国船に乗り込み、船員の顔の髭を剃り西洋ハサミの使い方を覚えたのが開業のきっかけとされている。
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電信 |
1869(明治2)年、横浜電信局と東京電信局を結ぶ電報業務がスタートした。初めて見る電信線に石を投げる人や、切断する人が続出したという。
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乗合馬車 |
横浜開港によって関内が外国人居留地になると、道には街路樹などが整備され、馬車の行き交う光景が見られるようになった。開港から10年後、アメリカ人のランガンとジョージが京浜間の乗合馬車の運行を開始した。
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近代下水 |
1870(明治3)年に関内居留地内全域に陶管を埋没したのが、日本最初の近代下水道。強度や容量の問題から、1881(明治14)年より徐々にレンガ造りの下水管に作り変えられていった。その断面から卵型管と呼ばれる。
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吹奏楽 |
天皇の護衛にあたっていた薩摩藩の青年藩士たちは、英仏楽隊による歓迎の演奏を見て感動。楽隊の指導者であるJ.W.フェントンから妙香寺(中区)にて吹奏楽を学び、1870(明治3)年に山手公園で初の野外演奏を行った。これが、日本人による吹奏楽団の祖となった。
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和英辞典 |
開港とともに来日した宣教師J.C.ヘボンが日本語の研究を行い、1867(慶応2)年に日本初の和英辞典「和英語林集成」がここ横浜で作られた。日本語を横組で記した最初の書物ともいわれている。
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(3)馬車道の歴史博
物館前に設置されて
いる碑 |
(5)「ザンギリ」と書か
れた山下公園内の碑 |
(6)横浜地方検察庁入口に
ある電信創業の地の碑 |
(7)馬車道十番館前に残る
牛馬飲水槽 |
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